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突撃インタビュー!われらが地元の名士訪問

【第6回】川西 大輔(カワニシ ダイスケ)さん うましき里きららの楽校

薩摩川内市・さつま町で活躍されている名士の方々をまいぷれ編集部が突撃取材してきました!

経歴・プロフィール紹介

広島県廿日市市生まれ。可愛い弟・妹の良きお手本となる四人兄妹の長男として育つ。小・中・高と生まれ育った廿日市市で学生生活を楽しんだのち、飲食店に就職。その経験を活かし、居酒屋やダーツバー、フードバー、スナックなど約10店舗の飲食店の経営に励む。24歳の時、経営以外の新たな夢「音楽」の道も歩むべく東京へ上京。広島での経営を見守りつつ、東京で音楽ととことん向き合い、これからの人生に欠かせないたくさんの人々との出会いとかけがえのない経験を積み、広島に持ち帰る決心を固める。東京で出会った奥様と結婚後、長男誕生を機に「鹿児島」へ移住。現在さつま町の地域おこし協力隊として「きららの楽校」で、ものづくり企業のパンフレットやPR動画作成など、地元の貢献活動を行っている。

広島県から東京、そして最終的にたどり着いたのが「鹿児島」ということですが、そこに至るまでの経緯を教えてください!

自分の将来について考えた時、定年後は「Iターン」しよう!と決めていました。子供が生まれたのをキッカケに考え方も色々と変化がありまして、少し早めの決断をしました。そして、Iターン先の候補に挙がっていたのが「青森」か「鹿児島」でした。「北」か「南」か…、悩んだ結果、“南国”鹿児島を選びました。移住するにあたって、「地域おこし協力隊」の存在を知りました。そこからどの地域に住みたいか、妻と県内をドライブしていた時のことです。子供達が横断歩道で渡ろうとしていたので止まって「どうぞ」と合図しました。すると、渡り終わった子供達がわざわざ振り返って私たちにお辞儀をしたんです!広島では見たことのない光景でしたので驚きました!我が子にもこういう教育を受けさせたいという想いを皮切りに、自然豊かな場所や人の温かさにも惹かれ「さつま町」に決めました。

地元さつま町はどんな町だと思いますか?さらに、どんな町にしていきたいと思いますか?

とにかく人が優しいですね。本当に優しい。これに尽きます。来るもの拒まず…というか“ウェルカム!”な方が多くて、自然と家族ぐるみの付き合いに繋がっていて公私共に充実しています。あとは同世代40代の方々の地元愛が熱いですね~!!とても良い刺激を受けてます。そして、これからのさつま町は、人口を増やすというよりも「交流人口」を増やしていけたらと思っています。「きららの楽校」のように県内・県外からの交流を増やす場所やイベント活動などが今後もっと増えていけば、町と地域の貢献となり、そこから自然と地域活性化へ繋がっていくことで“良いサイクル”が生まれると思います。これから行いたい具体的な活動はたくさんありますが、その中でも「神社の復興」と「音楽イベント」ですね。神社の復興は、あと一歩!音楽イベントは、東京でのバンド活動の経験を活かして出来ることがたくさんあると思うので、ずっと実現させたいと考えています。どちらもコロナの影響を受け、志半ばで中断していますが、地域おこし協力隊の任期が終わった後も成し遂げたい目標です!

あとがき

広島から東京そして鹿児島への移住、誘われた飲み会は二次会まで必ず出席するなどフットワークの軽さがピカイチな川西大輔さん。そこには東京で出会った某有名ギタリストの「即行動」する生き方の影響も大きいのだとか。何事にもどんどんチャレンジしていく楽しさ、自分にしか出来ない経験を積む、これまで出会った人々との深い付き合い、すべてが自分なりに「一生懸命」してきたからこそ得たものではないか、と熱く語っていただきました。好きな座右の銘は?の答えに【死ぬこと以外はかすり傷】…!穏やかな口調からは想像つかない言葉にスタッフ一同驚きました。まいぷれ事業部もフッ軽な精神と大きなインパクトを与えられる活動をしていきたいと改めて思うインタビューとなりました!インタビューにご協力頂いた川西大輔さんはじめ、うましき里きららの楽校の方々、誠にありがとうございました!

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